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2009年 07月 24日
このところよく雨が降ります。今日も降ったり、止んだりの天気。
雨が降って来たので、早めに雨戸を閉めましょうと、庭に出ると 夕顔が一輪咲いていました。 雨に打たれて、少し形が変わっていましたが、元気でした。 この雨の中で咲いてくれて、ありがとうという気持ちです。 #
by sasakikey
| 2009-07-24 18:16
2009年 07月 23日
友達や山のリーダーに誘われて次の3山に行きました。
(1)・・・秩父御岳山 (2)・・・二十六夜山 (3)・・・西吾妻山 秩父御岳山は私が思っていたよりは険しい山でした。 また西吾妻山はロープウエイやリフト(3回)で乗り継いで標高差224mでしたので、 簡単な山かと思っていましたところ、石のゴロゴロした登り降りと雨の跡で滑る木道で 随分時間がかかりました。でも遠くの山々が見えて感激しました。 西吾妻山では、チングルマやイワカガミがきれいに咲いていました。 西吾妻山登山の初日は桧原湖自然歩道の散策をしましたが、小雨で緑がきれいでした。 秩父御岳山 武甲山は私の方からはいつも形よく見えました。武甲山は削られて山の形をしていない ところもあるのですが・・・。 花枯れでしょうか? お花は殆ど咲いていませんでした。 二十六夜山 信仰の山で二十六夜の月待ちをする習慣があるところから、、名づけられました。 山頂は南と西の方角が開け、南大菩薩の向こうに南アルプスが見えるそうですが、 今回は残念ながら見えませんでした。 上野原から回数の少ないバスで浜沢まで行き、ここから歩き始めて頂上 下尾崎橋まで下山してバスで上野原に出ました。 オカトラノオ 西吾妻山 初日は桧原湖自然歩道を散策しました。小雨がぱらついて緑がきれいでした。 大きな石のゴロゴロした道 チングルマとイワカガミがきれいでした。 イワカカミ、チングルマ、コバイケイソウです。 #
by sasakikey
| 2009-07-23 18:09
2009年 07月 23日
40年ぶりに日光東照宮へ行きました。
当時は真紅で、きらびやかな感じがしましたが、朱色がとれて、落ち着いた感じ?になって いました。 しかし、朱色は高貴な色で中国などでは、お寺に使っているとのことでした。 そういえば,前に中国へ行った時、お参りしたお寺はどこもかしこも朱色に塗られていた のを思い出します。 今回は家康の霊廟や大猷院、本殿の中まで、丁寧に見学してきました。 ただ雨に降られ、腕や天候に左右されて、よい写真が一枚もなく、 残念なブログになってしまいました。 日光東照宮 建物の彫刻 ここには左甚五郎の眠り猫をはじめたくさんの彫刻があります。 本社が最も多く、次いで唐門、陽明門、全体で5173体、本社2468体、唐門611体 陽明門508体と言われています。 家康の霊廟を守るための魔除けの役割をもっているそうです。 家康の霊廟 歴史の解釈は面白い? 「みまかりし後は、棺を久能山に納めて、神に祀り、葬儀は江戸・増上寺、位牌は 三河の大樹寺に、一周忌の後は日光山に小さき堂を建てて勧請せよ。 死して関八州の鎮守とならん。」 と遺言して15日後に亡くなりました。 幼い時、今川家の人質となり、また秀吉と立ち小便をしながら、「関八州を治めよ。」 といわれた家康が、誰よりも愛していたのは三河ではなかったでしょうか。 きっと三河で眠りたかったのではないでしょうか。遺言などはしていません。 死後の勢力争いで遺言を作られたのではないでしょうか・・・。 などの意見が出て、そのようにも考えられるような気がして来ました。 歴史は面白いな…。 解釈の仕方も勉強の深さによるのかもしれないと思いました。 大猷院 大猷院は三代将軍家光の法号「大きな仕事を成し遂げた。」という意味を持ちます。 「死後も東照大権現にお仕えする。」との遺言を残し、日光に埋葬されました。 なお眠り猫が十分写真に撮れなかったのですが、表に眠り猫、裏に鳩が遊んでいます。 猫が眠っているので、鳩が安心して遊んでいられる。すなわち家康が天下統一を 成し遂げたので平和が訪れたということを表わしています。 次の日 湯西川温泉界隈散策で平家落人の里と竜王峡を見学しました。 800年のその昔、源氏の厳しい追手から逃れて身をひそめ工夫して生きた跡が少し偲ばれ ました。 竜王峡では美しい自然に感嘆しました。 今度はもう少し天気の良い時に、その上カメラの腕も磨いて行ってみたいと思っています。 #
by sasakikey
| 2009-07-23 13:20
2009年 07月 03日
越前岳へ登りました。越前岳は富士山の南にあって、愛鷹連邦の最高峰です。
最高標高1504M、最低標高704M、ちょうど富士山の目の前にあるので、富士山の 眺めは素晴らしい山です。 今回は梅雨の晴れ間の一日。 思いの外、きれいに見えました。 コースは越前岳の東の登山口、(愛鷹登山口)~富士見峠~越前岳頂上~十里木~ 御殿場駅へと歩きました。 わりに緩やかな登りでしたが、下りはしばらく、急坂が続きました。 所々にある展望台からは富士山が顔を出し、それはそれは大きく、雲も切れてはつきりと 見えました。 思わず「わあ・・・いい眺め。」と叫んでしまいました。 とてもよい眺めでした。 越前岳の頂上 富士山 見る角度によって少しずつ眺めが変わって。 こあじさいが満開 ランがつつましく咲いていました。 今の時季は花が少ないようです。 緑がきれでした。愛鷹山荘が見えてきました。 向こうに鋸岳が見えます。入山禁止の山だそうです。 ぶなの木が何本か高く高く聳えていました。 快晴とはいえない天気でしたが、富士山が大きくはっきりと見えて、よかった!!と 嬉しくなって、足取りも軽く下山しました。 昭和13年に50銭紙幣に印刷されたそうです。 三ッ峠山から見た富士山も大きくきれいでしたが、越前岳から見た富士山も立派でした。 #
by sasakikey
| 2009-07-03 22:58
2009年 06月 24日
今月の歴史散策では岩宿遺跡と織物の町・桐生を訪ねました。
ここは群馬県の東端に位置し、西に赤城山を望み、南は利根川や渡良瀬川などの 大河に囲まれた平野が広がり、北は栃木県との間に足尾山地が連なる山紫水明の 地です。 笠懸町にある岩宿は考古学に関心を持つ一青年、相沢忠洋によって発見され 日本の人類の歴史を書き変えた場所です。 それまで、人類の歴史は縄文時代からとされ、火山灰のふり積もる環境では、人間は 生活できないといわれていましたが、彼が赤土の関東ローム層の中から、石器片を発 見したことにより、それまでの考古学の常識が覆されたのです。 相沢忠洋さんの銅像 相沢忠洋さんは大正15年生まれ、8歳から11歳のころまで鎌倉の杉本寺の近くに 住んで裏山の工事現場で土器を見つけたこともあって、後の人生に大きな影響を 与えたといわれています。幼いころから、考古学への思いが断ち切れず、時間の取り やすい納豆の行商をしながら、赤城山麓の各地で、土器や石器の採集を行って いました。そして沢山の遺跡を発見しました。 35歳の時岩宿遺跡発見の労により、群馬県功労者表彰を受けました。 41歳で第1回吉川英治文化賞を受け、46歳で宇都宮大学の講師になっています。 死後、笠懸村より名誉村民第1号の称号が贈られました。 岩宿遺跡 岩宿遺跡遺構保護観察施設(岩宿ドーム) 相沢忠洋が見つけた黒曜石の槍先形石器(昭和24年7月) 最初の発掘調査で出土した石器(昭和24年) 岩宿博物館 発掘調査の様子がよく分かるように、資料が整えられていました。 外からみた建物 天満宮 平安時代末期に「桐生」という地名はすでにあったそうです。・・・・・江戸時代には 徳川家康の領地になり、赤森城といわれていた現在の天満宮の地に宮内天神を 遍し、宿頭にして南へ一直線の道路を作り、その両側に人々を住まわせる施策を して15年をかけて町を整備しました。 一目で江戸時代と分かる立派な彫刻が施されています。 のこぎり屋根の工場 ノコギリ屋根の工場の垂直または傾斜したところに、ガラスを取り付けて直射日光が 入らないように、そこから採光するように工夫されています。 採光窓は北側を向き、直射日光が入らず、一日中変動が少なく、安定した照度が得られ ます。それで布も日焼けせず、織物の仕上がり状態もよく見られるそうです。 近代になって、和装離れから絹織物蚕業が下火になりましたが、自動車部品産業や パチンコ機の一大生産地としてノコギリ屋根の工場も使われています。 染物 藍染の木 桐生の町並み 歴史学者であり、日本のマルクス主義史観の先駆者、羽仁五郎が生まれた地であり、 彼は故郷の桐生を「日本のフィレンツェ」と讃えています。 そして作家坂口安吾は桐生に来往しこの地で病没しています。 羽仁五郎の家のあった所 坂口安吾の碑 #
by sasakikey
| 2009-06-24 11:16
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