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2012年 03月 12日
今回は長かった武蔵国を抜けて上野国に入ります。上州または上毛とも呼ばれています。
最初の宿「新町」は神流川の渡しである「勅使河原の渡し」を控え、不便なため、中山道 制定後50年を得て設けられ、「新町」と名付けられた宿場です。 「倉賀野宿」は鳥川と利根川を利用した水運が盛んで信州や上州の米や産物を 江戸に送り、行徳の塩や干し魚を持ち帰ったそうです。 今回の終点は高崎宿、上野七宿の中では、もっとも賑わいを見せた宿だそうです。 一里塚 中山道をしばらく行くと、神流川の手前、国道17号と合流する直前右側に 庚申塔と一里塚跡がありました。 神流川 神流川橋の手前右手に神流川古戦場の案内板がありました。 天正10年(1582年)織田信長の家臣滝川一益(かずます)は武田氏滅亡の功で 入っていた居城廓橋(現前橋)城を出発、北条氏邦と神流川で戦いましたが、 小田原から北条氏直が来援、一益は2700余の戦死者を出して廓橋に退きました。 この時一益の勢力下にあった金窪城も落城しました。 神流川古戦場の碑 常夜灯 中山道は国道17号線と分かれ、右斜め前に進むのですが、その分岐点に 新町側の常夜灯の復元されたものが建っていました。本来の常夜灯は高崎市 郊外の大八木町諏訪神社に移設されています。 この新町側の常夜灯を建てる際に、小林一茶も夜中に寄付を求められ、しぶしぶ 12文を支払う羽目になったそうです。 例弊使道との追分 例弊使道とは徳川家康の命日の4月18日に行われる日光東照宮祭礼に朝廷から 派遣される勅使(例弊使といいました。)が通る道のことです。 京都からここまでは中山道を通り、ここから日光に向かいました。 この追分には文化11年建立の常夜灯があります。 正面に「日光道」右側面に「中山道」と書かれた石碑があります。 八坂神社 右の旧道に入ってすぐ右手に八坂神社があります。 昔は鳥居脇に柳の大木があって、「柳茶屋」という茶店があったと言われています。 芭蕉の句碑があります。 「傘(からかさ)におしわけ見たる柳かな」 富士山いいえ浅間山 ここまで来ると浅間山がきれいに見えます。 明治天皇新町行在所 行在所公園の横に明治11年北陸巡幸の時泊まられた建物が残っていました。 川端家 文化丁の登録有形文化財に指定されています。右手にしっくい土塀の大きな旧家が 見えて来ました。原三渓のように、生糸の生産をしていたそうです。 旧中山道 わずかに残っています。 とても懐かしい気持ちになって歩きました。 標識 こんな標識が所々にありました。 これもおもしろい立て札です。 脇本陣跡 小さな看板を見つけました。 安楽寺 奥に古墳があり、この古墳が神殿になっていました。 門の右手には天平時代の異形板碑が屋根付きの小屋に安置されていました。 今回も沢山歩きました。37179歩でした。当時のままの中山道は殆ど 残っていませんが、神社、お寺、石碑、標識、建物などで当時を偲ぶ ものが残っていました。 私が初めて知ったのは「例弊使」「例弊使道」という言葉です。 「例弊使」とは家康の命日の4月18日に行われる日光東照宮例祭に 朝廷から派遣される勅使のことで、毎年、弊帛を運ぶことから「例弊使」 と呼ばれたとのことです。 今回の終点の高崎宿は上野7宿の中では最も賑わいを見せた宿場で、 「お江戸見たけりゃ高崎田町」と言われたそうです。
by sasakikey
| 2012-03-12 23:36
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