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2009年 10月 28日
今日は朝、家の周りの掃除をしました。
しばらくそのままにしていましたので、落ち葉が溜まって小さな庭が よけい汚く見えました。 落葉を掃き、草も少しとったのできれいになりました。 きれいなのは気持ちのよいものです。 小さな庭だから、いつも落葉を掃き、きれいにしておきたいと思うのですが さて実行は?・・・反省しきりです。 #
by sasakikey
| 2009-10-28 12:27
2009年 10月 28日
「謹奏(つつしんで申し上げます。)
まことに恐れ多いことですが、取るに足りない陛下の国民のひとり田中正造がひれ伏 して申し上げます。 ・・・中略・・・ 東京の北方四十里ほど離れたところに足尾銅山があります。 近年、西洋技術の導入で鉱業に使用する機器が発達するにつれて、毒の流出が ますます多くなりました。 現地では銅を採掘したり、製錬したりする時の毒水と毒を含む廃石が谷を埋め、渓流に 注ぎ渡良瀬川に激しく流入して沿岸が被害を受けております。 ・・・中略・・・ まず渡良瀬川の水源を清めることが第一です。川の流路を修築して元どおり天然の姿に 戻すことが第二です。猛毒の土を除くことが第三です。沿岸の計り知れない天然物を復 活することが第四です。退廃した多数の町村を回復させることが第五です。毒物を出す 鉱業を停止させ、毒水と有毒の廃石の流出を根絶することが第六です。 ・・・中略・・・ 明治三十四年十二月 陛下に仕える取るに足らぬ国民のひとり田中正造 心からおそれかしこみ、ひれ伏して 本状を捧げます。(印)」 これは直訴状の一部分です。 12月10日11時ころ、田中正造はこの直訴状を手に第16回帝国議会開院式から 帰途につかれた明治天皇の馬車に近付こうとしましたが、つまずいて転び、 直訴は果たせませんでした。 しかし翌々日の新聞にも載って全国的な社会反響を呼び、被害地への視察団や被害民 救済の支援者が続出したそうです。 歴史散策(つれづれ紀行)で21日足尾鉱毒事件の足跡を辿って旧谷中村廃村地と 渡良瀬遊水地を訪ねました。 散策コース 横浜~東北自動車道~佐野I・C~佐野郷土資料館~田中正造旧宅~出流源弁天池~ 磯山弁天堂~渡良瀬遊水地~旧谷中村史跡(延命院跡、雷電神社跡、村役場跡、旧 谷中村合同慰霊碑)~ウォチングタワー~横浜 田中正造の銅像 田中正造の墓(分骨して6か所にお墓があるそうです。) 岩手県盛岡中学の3年生だった石川啄木は直訴の報を聞き 「夕川に葦はかれたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや」と31文字に思いを託し、 新聞配達で得た学費を鉱毒被害者のために寄付しています。 ここで葬儀が行われました。(惣宗寺)…今は建て替えられてきれいです。 この本葬には被害民など五万人が参列したそうです。 田中正造旧宅 正造は下野国阿蘇郡小中村(現・佐野市)で生まれ17歳で父の跡をついで名主に なりました。 当時からのさるすべりが今も健在でした。大きな木です。 旧谷中村跡地(渡良瀬遊水地) 谷中村は渡良瀬遊水地のあった場所にありましたが、政府の方針で、強制廃村に なってしまいました。 室町時代から肥沃な農地として知られ、渡良瀬川は豊かな漁場で村人にとっては 大きな糧となっていました。しかし足尾銅山の鉱毒の被害で川には魚の死体が浮かび、 渡良瀬川から取水する田園や田畑では稲が立ち枯れ、人体にも影響がでる結果と なってしまいました。 現在は渡良瀬川は流れていますが、「史跡保存ゾーン」として旧役場跡、延命院跡、 雷電神社跡が残されて当時の面影を偲ぶことができます。 向こうは谷中湖 お花が名残惜しげに咲いていました。 日本名水百選の中の出流原弁天池 市街地の北の磯山の麓にありました。この近くのお店でお昼をいただきました。 古生層石灰岩の割れ目から清水が湧き出ていて実にきれいな水でした。 この磯山の山腹には朱塗りの弁天堂があります。三楼層舞台造りのお堂には 弁財天が安置されていました。 娘や息子たちが5年生の国語で田中正造の勉強をし、年代順に画用紙に纏めていて、 私も一緒に勉強し、いつか訪ねて行きたいと願っていました。足尾銅山にまでは行け なかったのですが、旧宅などの見学ができて、田中正造をより身近に知ることができて 念願が叶いました。 正造の遺品は袋と小石が3個、手帳、わずかのお金だけだったとか。 家や家族とも離れ、衆議員議員という地位も辞職して、公害問題に取り組んだ 田中正造、 だれにでもできることではないと感心してしまいます。 作家、城山三郎は「辛酸」の中で正造の生涯について、 「純粋で無償の情熱であり、無私といっていい純粋なものであった。 彼は鉱毒問題のためにすべてをなげうったのである。 代議士の地位も、財産も、名誉も、家族も “辛酸入佳境”これは彼が好んで揮ごうした文字である・・・。」と この悲しい歴史を秘めた谷中村は今は葦原の続く美しい渡良瀬遊水地として市民の 憩いの場となっています。 #
by sasakikey
| 2009-10-28 00:03
2009年 10月 19日
2009年 10月 15日
膝を痛めて2年近く登山を休んでいた友達の快気祝いを兼ねて北八ヶ岳に行きました。
初めは6人の予定でしたが、8人に増えて賑やかな山行になりました。 新宿からあずさ1号に乗り、茅野で下車。茅野からジャンボタクシーでメルヘン街道を通り 狭霧苑へ。ここから歩き始めました。昔の道だそうです。 斧断ちの森では高い木々と美しい苔を楽しみ、麦草峠から白駒池へ。池を見ながら 昼食にしました。 次に高見石登山口から高見石小屋へ。大きな岩を登って高見石展望台へ行きました。 上から白駒池をはじめ、周りの景色を眺め、次に丸山(2329,6M)へ。 そして麦草ヒュッテに下山、タクシーで茅野駅へ戻りました。 台風の後で道が荒れていて、予定よりも1時間も遅れて4時30分に着きましたが、天気に 恵まれて辛いけれども、楽しい一日でした。 狭霧苑より歩き始めました。 麦草ヒュッテ 斧断ちの森 苔がきれいでした。 白駒池 高見石展望台から眺めた白駒池(素朴で一番よい感じがします。) 高見石展望台…大きな岩のような石が積んであるような…。 高見石展望台の上で写真を撮る人 丸山の頂上 #
by sasakikey
| 2009-10-15 22:02
2009年 10月 05日
しゅうめいぎくが咲きました。十分に肥料をやらないでいるので、今一お花がきれい
ではありませんが、わが家にも秋が来たという感じがして嬉しく思っているところです。 ホトトギスも咲いてほんの少し賑やかです。 #
by sasakikey
| 2009-10-05 14:40
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