久しぶりで練馬区内の散策をした。ご近所の方々8名とともに。
まず
牧野記念庭園見学
次に
練馬区役所の20階展望レストランで昼食、
最後に
光が丘パークタウンを見学して戻って来た。
牧野富太郎は高知県佐川町の造り酒屋の一人息子として生まれた。
小学校中退という学歴で植物の命名数1000種、標本40満点、
世界でも比類のない植物分類学を確立した。
関東大震災後、貴重な標本や資料を災害から守るため
すえ子夫人の計らいで大泉に700坪の土地を購入して
1924年(大正15年)に移転。
一本一本の木には名札が付けられて、手入れが行き届いている。
「スエコザサ」はすえ子夫人の心に応えて命名された。
「花在ればこそ 吾も在り」
「家守りし妻の恵みや 我が学び 世の中のあらむかぎりや
すえ子笹」
光が丘パークタウンは戦前までは練馬大根などが栽培される静かな
平和な農村地帯だった。
昭和22年に米軍に接収され、米軍の家族の宿舎「グランドハイツ」
730棟が建設されその付属施設も造られていた。
昭和48年に返還された。
昭和58年光が丘パークタウンで都営住宅、公団住宅第一次入居開始
平成12年都営大江戸線全線開通、現在に至る。
牧野記念庭園
スエコザサ
光ガ丘パークタウン
平和の碑(昭和58年当時の練馬区長の名前がでている。)
牧野富太郎記念館や学芸大学大泉付属小学校のある通りは
ここ4・5年で随分変わってしまった。
高層の建物が建ち、沢山のお店ができて、どのように、どう行くのか
戸惑ってしまった。
駅も駅前も明るくイメージチェンジしている。
町の人たちは便利になってどんなに助かるでしょう。
私は嬉しい気持ちがした。