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2009年 11月 21日
今月のつれづれ紀行(歴史散策)では房総半島の山武村を訪ねました。
ここには伊藤左千夫の生家や記念館があります。また大きな古墳があります。 私たちは下のようなコースで見学しました。 (1) 日時 11月18日(水曜日) (2) コース 天理ビル前→伊藤左千夫生家・記念館→昼食→妙宣寺(鍋かむり日親) →殿塚・姫塚→観音教寺(仁王尊・埴輪博物館)→天理ビル前 伊藤左千夫生家 伊藤左千夫はアララギ派の歌人であり、作家でもあります。43歳の時「野菊の墓」を ホトトギスに発表し有名になりました。・・・後に映画にもなっています。 ![]() ![]() 左千夫の生家 ![]() 茶室 ![]() アララギの木 ![]() お庭に野菊が残っていました。 ![]() 萱葺きの屋根には竹がきれいに揃えてはめ込まれていました。 ![]() 妙宣寺 妙宣寺は1394年~1428年にこの地の豪族はに谷氏の開基、中山法華経寺の 僧日英の開山により創建されました。 境内には「鍋かぶり日親」に関するパネルが掲示され、墓地には日親兄弟、師の日英 の供養塔、アララギ派歌人蕨眞、蕨橿堂、蕨桐軒などの墓所があります。 ![]() ![]() 観音教寺 奈良時代の末期の天応元年(781年)に建てられた古刹で、柴山仁王尊と呼ばれて います。江戸時代には火事泥棒除けの「仁王さま」として江戸庶民の参詣で賑わいま した。 ![]() ![]() 県文化財に指定されています。 ![]() 編集中 2009年 11月 19日
また奥多摩むかし道を歩いてきました。
今回はPCの先生やお仲間とご一緒です。 紅葉は16日、今が見頃、赤や黄色、橙、緑と実にきれいでした。 今回も奥多摩湖から歩き始め、奥多摩駅に戻りました。 みんなで7人の参加です。 細い道は私を先頭に、一番後ろはベテランでリーダーのRさんが受け持ってくれました。 広い道に出てからは三々五々お話をしながらの楽しいハイキングでした。 写真も沢山撮りました。 この道は地元の人々の生活道路でした。塩山や大菩薩峠まで続いていて食べ物や 衣類、生活必需品などの交換をしたそうです。 道端には村人がお願いした道祖神や馬の水飲み場、馬の供養塔などがあって、 昔の人々の生活をかいま見ることができます。 何度歩いても、少しずつ変化があって、楽しい道です。 奥多摩湖 ![]() 紅葉は色鮮やかで実にきれいでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 惣岳渓谷 多摩川の源流…急流ですが、チョロチョロ水が大分多くなって流れています。 しだくら橋(吊り橋)にゆられて、橋の下を恐る恐る覗き込むと…。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 冬の用意 軒下にはつるし柿や里芋の茎を干して。 ![]() 道端のお守り様 ![]() ![]() 何のお花だったのでしょうか?きれいでした。 ![]() 奥多摩むかし道は3回目でした。新緑の頃、紅葉の頃、紅葉のはじまりの頃と。 いつ歩いてもいいところでした。しかし紅葉のころは実に美しいです。 新鮮な空気、紅葉、そして道端のお守り様たち、変化があってじつに楽しい 道でした。 2009年 11月 14日
3日(火曜日)から6日(金曜日)までチェジュ島(済州島)へ行ってきました。
ここは成田から直行便が出ていて、日本からは2時間半で行けます。 時差もありませんのでとても便利です。帰りなどは飛行機が偏西風に乗って 2時間足らずで成田に着いてしまいました。 韓国ドラマ「チャングム」でチャングムが流された島でもあります。 佐渡島の2倍、淡路島の3倍の広さで、人口は約55万人、15世紀初めには 独立国だったこともありましたが、モンゴルの直轄地になったこともあるそうです。 気候が韓国で最も温暖で「東洋のハワイ」と呼ばれていますが、冬は季節風が吹いて 寒いです。 火山の島でいたるところに溶岩が流れた後があり、洞窟が形成されていて、世界遺産に なっているところもあります。土地の質が悪く、田畑ではお米は収穫できないのですが、 気候が温暖ということもあって、韓国一のみかんの産地であり、ニンニクや玉ねぎ、 きゃべつ、海産物が採れ、今は豊かな島になっています。 私たちは韓国の最高峰で世界自然遺産でもあるハンラ山(1950M)へ登ろうという 計画のもとに出掛けました。 しかしその前日に雪が降り、あちらこちらに雪が積もっていて、1時間半ほど登ったころ でしょうか、積もった雪が解けかけてびしょびしょになって来ました。 滑りやすいので、健脚な二人は山頂を目指しましたが、私をはじめ何人かは下山しました。 残念でしたが、怪我をするよりはとのリーダーの賢明な判断でした。 そして低い山を2山登って来ました。 4日間を通しての見学のテーマは自然です。 日程 1日目・・・ 成田発09:45 最終島着12:45 三姓穴、龍頭山、自然史博物館見学 2日目・・・ハンラ山登頂 城山日の出峰 薬草岳登頂 3日目・・・万丈窟 椰子林日の出峰 サンクムブリ 民俗村見学 馬のショウ見学 (ジンギスハーンの勝利) 4日目・・・ハルリム公園 安徳渓谷 如美地植物園見学 1日目 耽羅王国の発祥地三姓穴 今から約4300年前耽羅を創始した三神人の湧出から耽羅国へと発展して高麗末に いたるまでの話です。 三神人がここから生まれ、狩猟生活を営んでいたところ、五穀の種子と家畜を 持ってきた碧浪国の王女を配偶者に迎えて農耕生活が始まり、耽羅王国へと 発展していったとされています。 ![]() ![]() 龍頭山 噴火の際に溶岩が流れ出ていろいろな形を作りました。絶景の場所です。 ![]() ![]() 自然史博物館 トルハンパン(石のおじいさん) 高さ2M弱ほどで村を忌害から守っています。…守護神 ![]() 島の歴史や昔の生活の様子などが民具とともに紹介されています。 ![]() 火山島を開拓してきた済州島の人たちは石を活用してきました。 到る所に童子石(石仏)や石臼がありました。 ![]() ![]() ハンラ山(1950M,標高差1200M) 紅葉が進んでいました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 城山日の出峰 面積1688KM 高さ182M 噴火口海抜90M、直径600M とてもきれいなところでした。 ![]() ![]() 熊の岩 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 薬草岳 ここも低い山ですが、360度の展望 お花も咲いていました。 ![]() ![]() 万丈窟 約20年から30万年前にコムンオルム(寄生火山)から噴出した溶岩が海岸線までの 長い距離に達する過程で形成された典型的な溶岩洞窟です。 総延長は約8KMと世界でも最大規模を誇る長い洞窟です。洞窟が形成された後に 何回も噴出を繰り返したのでいろいろな層から成り立っています。実に見事な洞窟 です。しかし自然世界遺産でもあり、保護の上からも照明が暗くしてあるので、人は 通れますが、残念ながら写真は撮れませんでした。 ![]() ![]() ![]() 木の形をした空洞のある溶岩…火山の噴火の際に噴出した溶岩が流れ、樹木を覆う ことにより、外側は固まり、内側の木は高温のため燃えて空洞になったそうです。 ![]() 椰子林公園 椰子樹とサボテンで造成された椰子樹道 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ゴンズイの実 ![]() 盆栽・・・10年から300年の盆栽が並んでいました。素晴らしかったです。 ![]() 池の庭園 亜熱帯植物園より ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() サングムプリ噴火口 ![]() サングムプリは済州島唯一の爆裂孔からなる寄生火山です。火口の内側には アカガシ、スダジイ、イヌグス、黒松、野生ラン、羊歯類など448種類の植物と多数の 動物が生息しています。 ![]() ![]() ![]() ここにはお墓が沢山ありました。人間が亡くなると人間の魂白の魂は天に登り 白は肉体に残ります。だから絹のきれいな白い衣装を着けて土葬にするそうです。 ![]() ![]() ![]() 城邑民俗村見学 屋根は風でとばされないように括りつけられています。萱を敷いています。 ![]() ![]() ![]() 馬のショウ モンゴルの人たちの馬のショウを見学しました。ジンギスハーンの勝利の場面でした。 物凄い迫力で思わず手に汗という感じで見ていました。 中に女の人もいましたが、馬術がとても上手でした。あっという間に1時間半が 過ぎてしまいました。 ![]() ![]() 安徳渓谷 最後の見学は安徳渓谷でした。 柱状節理の岩肌を見ることができました。 ![]() ![]() ![]() みかん いたるところにみかんの木があって、すずなりになっていました。今が食べごろで 甘くておいしかったです。 ![]() 3泊4日のハンラ山ハイキングもあっという間に終わりになってしまいました。 沢山、沢山 見学できました。 「近くて 遠い国」という言葉を耳にすることがあります。私は初めて韓国の島(韓国)を 訪ねたのですが、思っていたよりもずっとずっとよい国だな・・・。との感想を持ちました。 万丈窟を出たところで、韓国の若い方が「日本の方ですか。」と声をかけてきました。 「僕は日本語の勉強を始めたばかりです。」「父です。」と横にいたお父さんを紹介して くれました。 「日本にもよいところがあるから、今度来てね。」と言いますとにっこりとしていました。 食べ物も私(日本人)に合っていて、健康を害することもなく、 快適なハイキングができました。 今度は韓国の本土にも行ってみたい気持ちです。 2009年 11月 01日
お友達と奥多摩むかし道を歩いて来ました。この道は氷川から小河内村に達する
旧青梅街道です。 小菅から大菩薩峠を越えて甲府にいたる甲州裏街道で、甲州街道より8Kほど近道 だったそうです。小河内村の人たちは塩山との交易で生活を支えていました。すなわち 生活道路だったのです。今回は奥多摩湖から奥多摩駅に向かって、むかし道9Kを 歩きました。 紅葉は今始ったばかり、見ごろはもう少し後になりそうです。でも所々黄葉していたり、 紅葉しているところがあって、とてもきれいでした。 ![]() ![]() 木々の紅葉 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() しだくら吊り橋の上から ![]() 白髭神社 ![]() ![]() 槐木 この木の名前をとって地名にしたそうです。今では休憩所があり、大きな木が残って います。昔は繁盛したところだそうです。 ![]() ![]() むかし道には厳道の馬頭様(険しい、細い道を歩いて落ちた馬を供養する観音)や 縁結び地蔵尊、馬の水飲み場、道祖神、虫歯地蔵など、昔の人々の生活に密着 した石碑や跡があって、趣があります。昔の人の苦労が偲ばれる道でもあるの ですが、それ以上に周りりの景色が私たちを楽しませ、喜ばせててくれます。 紅葉は今始ったばかり、後10日もすればきれいだろうと思いました。 2009年 11月 01日
10月22日たまリバー50散策で立川から京王多摩川まで歩きました。
多摩川の畔はすっかり秋になっていました。 当日は丁度よいウオーキング日和に恵まれて楽しい一日でした。 今回は2回目です。 前回多摩川の畔がウオーキング道路になっていることを初めて知りました。 歩いてみて「東京にこんなに自然がいっぱい。」と驚き、感激してしまいました。 今回もまた秋、秋をいっぱい観賞できました。 よい景色がいっぱい、いっぱいなのです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 28Kの地点まで来ました。 ![]() 大喜びです。 ![]() 来年は28Kの地点から歩き始めます。多摩川の河口に近づくにつれ、川の畔が どんなになっているのかが、楽しみです。早く東京湾に着きたいと思っています。 2009年 10月 28日
今日は朝、家の周りの掃除をしました。
しばらくそのままにしていましたので、落ち葉が溜まって小さな庭が よけい汚く見えました。 落葉を掃き、草も少しとったのできれいになりました。 きれいなのは気持ちのよいものです。 小さな庭だから、いつも落葉を掃き、きれいにしておきたいと思うのですが さて実行は?・・・反省しきりです。 ![]() 2009年 10月 28日
「謹奏(つつしんで申し上げます。)
まことに恐れ多いことですが、取るに足りない陛下の国民のひとり田中正造がひれ伏 して申し上げます。 ・・・中略・・・ 東京の北方四十里ほど離れたところに足尾銅山があります。近年、西洋技術の導入で 鉱業に使用する機器が発達するにつれて、毒の流出がますます多くなりました。現地では 銅を採掘したり、製錬したりする時の毒水と毒を含む廃石が谷を埋め、渓流に注ぎ渡良瀬 川に激しく流入して沿岸が被害を受けております。 ・・・中略・・・ まず渡良瀬川の水源を清めることが第一です。川の流路を修築して元どおり天然の姿に 戻すことが第二です。猛毒の土を除くことが第三です。沿岸の計り知れない天然物を復活 することが第四です。退廃した多数の町村を回復させることが第五です。毒物を出す鉱業 を停止させ、毒水と有毒の廃石の流出を根絶することが第六です。 ・・・中略・・・ 明治三十四年十二月 陛下に仕える取るに足らぬ国民のひとり田中正造 心からおそれかしこみ、ひれ伏して 本状を捧げます。(印)」 これは直訴状の一部分です。 12月10日11時ころ、田中正造はこの直訴状を手に第16回帝国議会開院式から帰途に つかれた明治天皇の馬車に近付こうとしましたが、つまずいて転び、直訴は果たせません でした。 しかし翌々日の新聞にも載って全国的な社会反響を呼び、被害地への視察団や被害民 救済の支援者が続出したそうです。 歴史散策(つれづれ紀行)で21日足尾鉱毒事件の足跡を辿って旧谷中村廃村地と 渡良瀬遊水地を訪ねました。 散策コース 横浜~東北自動車道~佐野I・C~佐野郷土資料館~田中正造旧宅~出流源弁天池~ 磯山弁天堂~渡良瀬遊水地~旧谷中村史跡(延命院跡、雷電神社跡、村役場跡、旧 谷中村合同慰霊碑)~ウォチングタワー~横浜 田中正造の銅像 ![]() 田中正造の墓(分骨して6か所にお墓があるそうです。) ![]() 岩手県盛岡中学の3年生だった石川啄木は直訴の報を聞き 「夕川に葦はかれたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや」と31文字に思いを託し、 新聞配達で得た学費を鉱毒被害者のために寄付しています。 ![]() ここで葬儀が行われました。(惣宗寺)…今は建て替えられてきれいです。 この本葬には被害民など五万人が参列したそうです。 ![]() 田中正造旧宅 ![]() ![]() 正造は下野国阿蘇郡小中村(現・佐野市)で生まれ17歳で父の跡をついで名主に なりました。 ![]() 当時からのさるすべりが今も健在でした。大きな木です。 旧谷中村跡地(渡良瀬遊水地) 谷中村は渡良瀬遊水地のあった場所にありましたが、政府の方針で、強制廃村に なってしまいました。 室町時代から肥沃な農地として知られ、渡良瀬川は豊かな漁場で村人にとっては 大きな糧となっていました。しかし足尾銅山の鉱毒の被害で川には魚の死体が浮かび、 渡良瀬川から取水する田園や田畑では稲が立ち枯れ、人体にも影響がでる結果と なってしまいました。 現在は渡良瀬川は流れていますが、「史跡保存ゾーン」として旧役場跡、延命院跡、 雷電神社跡が残されて当時の面影を偲ぶことができます。 ![]() ![]() ![]() ![]() 向こうは谷中湖 ![]() ![]() お花が名残惜しげに咲いていました。 ![]() 日本名水百選の中の出流原弁天池 市街地の北の磯山の麓にありました。この近くのお店でお昼をいただきました。 古生層石灰岩の割れ目から清水が湧き出ていて実にきれいな水でした。 この磯山の山腹には朱塗りの弁天堂があります。三楼層舞台造りのお堂には 弁財天が安置されていました。 ![]() ![]() ![]() 娘や息子たちが5年生の国語で田中正造の勉強をし、年代順に画用紙に纏めていて、 私も一緒に勉強し、いつか訪ねて行きたいと願っていました。足尾銅山にまでは行け なかったのですが、旧宅などの見学ができて、田中正造をより身近に知ることができて 念願が叶いました。 正造の遺品は袋と小石が3個、手帳、わずかのお金だけだったとか。 家や家族とも離れ、衆議員議員という地位も辞職して、公害問題に取り組んだ田中正造、 だれにでもできることではないと感心してしまいます。 作家、城山三郎は「辛酸」の中で正造の生涯について、 「純粋で無償の情熱であり、無私といっていい純粋なものであった。彼は鉱毒問題のために すべてをなげうったのである。代議士の地位も、財産も、名誉も、家族も “辛酸入佳境”これは彼が好んで揮ごうした文字である・・・。」と この悲しい歴史を秘めた谷中村は今は葦原の続く美しい渡良瀬遊水地として市民の 憩いの場となっています。 2009年 10月 19日
2009年 10月 15日
膝を痛めて2年近く登山を休んでいた友達の快気祝いを兼ねて北八ヶ岳に行きました。
初めは6人の予定でしたが、8人に増えて賑やかな山行になりました。 新宿からあずさ1号に乗り、茅野で下車。茅野からジャンボタクシーでメルヘン街道を通り 狭霧苑へ。ここから歩き始めました。昔の道だそうです。 斧断ちの森では高い木々と美しい苔を楽しみ、麦草峠から白駒池へ。池を見ながら 昼食にしました。 次に高見石登山口から高見石小屋へ。大きな岩を登って高見石展望台へ行きました。 上から白駒池をはじめ、周りの景色を眺め、次に丸山(2329,6M)へ。 そして麦草ヒュッテに下山、タクシーで茅野駅へ戻りました。 台風の後で道が荒れていて、予定よりも1時間も遅れて4時30分に着きましたが、天気に 恵まれて辛いけれども、楽しい一日でした。 狭霧苑より歩き始めました。 ![]() 麦草ヒュッテ ![]() 斧断ちの森 ![]() 苔がきれいでした。 ![]() ![]() 白駒池 ![]() ![]() 高見石展望台から眺めた白駒池(素朴で一番よい感じがします。) ![]() 高見石展望台…大きな岩のような石が積んであるような…。 ![]() 高見石展望台の上で写真を撮る人 ![]() 丸山の頂上 ![]() 2009年 10月 05日
しゅうめいぎくが咲きました。十分に肥料をやらないでいるので、今一お花がきれい
ではありませんが、わが家にも秋が来たという感じがして嬉しく思っているところです。 ホトトギスも咲いてほんの少し賑やかです。 ![]() ![]() ![]()
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