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2012年 01月 20日
15日に中山道の深谷駅から神保原駅まで歩きました。
深谷駅で降りて、中山道に入ると、小さな映画館がありました。昔ながらの 映画館になつかしい気持ちでした。 ![]() まずレンガの高い煙突が見えて来ました。さすが深谷です。ところどころにレンガの 土蔵や家がありました。 ![]() 深谷の町並み ![]() 深谷宿にはところどころに、土蔵のある古い家が残っていました。 ![]() 本陣のあった場所に案内板がありました。その先に印刷屋さんがありました。 深谷宿は旅籠が80軒もあり、中山道の中でも多いところでした。 ![]() 深谷宿のはずれに常夜燈がありました。東と西にあるそうです。 ![]() 岡部陣屋の長屋門 ![]() 豊見坂を下る左手に百庚申がありました。万延元年(1860年)に建てられた とのことでした。こんなに沢山あると、壮観です。 ![]() 和宮もご覧になられたでしょう。 豊見坂をくだると急に開け小山川にさしかかります。 時計は1時を過ぎています。朝早かったせいかお腹がすいてきました。 はやく本庄宿へ着きたいな…。 ![]() 滝岡橋 ![]() ![]() 滝岡橋は中山道に造られた名橋。国登録有形文化財に指定されています。 最後に寄った所は金鑚(かなさえ)神社。総木製の鳥居は柱の前後に副柱のある 両部鳥居になっています。 寛永16年(1639年)に植えられたクスノキは埼玉県指定文化財になっています。 ![]() ここも殆どの道が手入れされて、もとの姿をなくしていました。しかし大幅な 直線道路にならないところが少しばかりもとの形を留めていました。 ![]() 今回は16,3Km前回よりも短いので、早く神保原駅に着きました。 万歩計は38147歩、暖かい日に恵まれて楽しい一日でした。 2012年 01月 07日
5日の日に高尾山にしもばしらの花を見に行きました。
前日は随分冷え込み天気予報も晴れとのこと、 「もしかしたら見られるかもしれない。」 私は淡い期待をして家を出ました。 でも朝、5時半なのですが、そんなに冷え込んでいるようにも思えません。 「どうかしら?ぜひ見たいけれど…。」 少々不安な気持ちで高尾山に着きました。 もうすでに山のお仲間は来て私を待っていてくれました。 高尾山は私の家(三浦半島)より、寒く感じられました。 「2度近く違うよ。」とお友達に言われました。 「この分だと…。大丈夫かもしれない。」 薬王院へお参りして今年の無事をお願いし、北斜面のしもばしら草の保護場所へ 着きました。 「あったよう。」 お世話役のBさんの声、 ありました。ありました。咲いていました。 それも沢山でした。 私は嬉しくなって、へたなカメラで、見つけると撮り、見つけると撮りという感じで 70枚ちかく撮りました。 小さなお花が多かったのですが、初めて見るお花です。とても嬉しかったです。 また晴れていて見晴らし台からは富士山も見られましたし、向こうの山々もきれいに 見えました。 高尾山 ![]() ![]() 今年は辰年 ![]() 山々 ![]() 富士山は霞んで撮れません。大きいカメラを持っていけばよかったと 反省しました。 ![]() しもばしらの花 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() しもばしらの花はシソ科の多年草。冬のはじまりの頃、地上部は枯れてしまいますが、 根はまだまだ元気です。根から吸い上げられた水が、地上の茎に運ばれ、茎から 噴き出して冷たい外気にさらされて、氷になります。その結果薄い花びらの形を した氷の花が作られるのだそうです。地上の茎が長いと長い花が、短いとバラの 花のように丸い花になるようです。 お花はひとつ、ひとつみな違っていました。少しずつ違っていました。 実にきれいな花でした。 2012年 01月 05日
明けまして
おめでとう ございます。 今年もよろしくお願いいたします。 今年の初詣は鎌倉の瑞泉寺にしました。 ここは臨済宗円覚寺派のお寺です。夢想国師が1327年に建立しました。 お花の寺ともいわれ、梅、水仙、ボケ、椿、さざんかなど、四季折々のお花が咲き、 秋は背景としている裏山をはじめお庭には色とりどりの紅葉がきれいです。 これから水仙が沢山咲くときれいでしょう。 裏庭の岩盤を削って池を造ったお庭も有名です。滝や池、中島などが造られて います。枯山水のお庭です。 瑞泉寺 ![]() 本堂 元日の朝だったせいもあり、鎌倉駅から離れているということもあって お参りの人も少なく、のんびりと見学しながら、初詣ができました。 ![]() お庭 ![]() ![]() 紅葉 紅葉がまだ残っていました。朝日に映えて光っていました。 ![]() ![]() ![]() 2011年 12月 27日
今年最後の「つれづれ紀行」(歴史散策)では埼玉の行田市に行きました。
ここは埼玉県の北部にあたり、利根川と荒川に挟まれた豊かな土地が広がる ところです。 古代から人々が住みつき、全国でも有数の規模を誇る「さきたま古墳群」が あります。またここには五世紀~七世紀初めごろまでの百五十年の間に次々に 造られた古墳があり、「さきたま風土記の丘」として整備されています。 かっては40基を越える大小の古墳があったことが分かっていますが、現在は 「前方後円墳」8基「円墳」1基の9基の古墳が残されています。 実に良く整備されていました。 忍城 中心地の忍は15世紀末に成田親泰が忍城を築き、城下町として発展しました。 戦国時代から江戸時代まで、特に江戸時代は忍藩10万石の要の町として栄えました。 豊臣秀吉が関東平定のため、石田三成を大将に「水攻め」の作戦を展開しましたが 突然の大雨で難を逃れ、小田原城が開城した後も10日間も持ちこたえることが できたので、別名「浮き城」とも呼ばれています。 「水攻め」で有名にもなったお城です。 沼地を上手に利用して造られたからでしょう。 江戸時代に入って家康の4男の松平信綱、阿部忠秋、阿部正武、と続きます。 明治の廃藩置県まで続き、「さきたま」から埼玉県と名付けられたそうです。 いつか熊谷宿から深谷宿まで歩いた時、「ここから忍城の領地」という石標を 見ていたので、親しみを持って見学できました。 ![]() 梵鐘は享保2年(1717年)桑名藩で鋳造されたもので、国替えの時に移された 鐘です。 行田郷土博物館 まず最初に博物館を見学しました。忍城の址が博物館になっています。 ここで沢山の古墳からの出土品を見、説明をしていただきました。 ![]() ![]() 古墳時代には朝鮮半島から新しい文化が日本に伝わり、行田にも伝わってきました。 5世紀後半には漢字 が 6世紀後半には新しい馬具や服装や相撲などが、 行田にも伝わってきました。 旗を立てた馬の埴輪は朝鮮半島から伝わったもので、日本ではただ一つの埴輪です。 古墳 古墳時代の5世紀後半、日本では稲荷山古墳が造られました。それから100年の間に 沢山の古墳が造られ、9基の巨大な古墳がまとまって造られたのが、「埼玉古墳群」 です。古墳は古代の豪族のお墓です。 稲荷山古墳から見つかった鉄剣にはどのような豪族だったか?分かるように 書かれていました。 ![]() 見つかった鉄剣は「金錯銘鉄剣」。これによって全国的に有名になりました。 古墳も含めて国宝になっています。 1968年に「風土記の丘」整備計画のため、発堀調査が行われた時に発見されました。 発見された時は鉄錆と鞘の木質に覆われていて、10年後の銘文があることは考えられ ませんでしたが、10年後の昭和53年、傷みが進んだ鉄剣の保存処理のために、 鉄錆を落とす作業中に金色に光る部分を見つけ、X線にかけたところ、文字の存在が 判明しました。 鉄剣には115文字刻まれ、剣を造らせた経緯が端的に記されていました。 日本考古学史上の大発見です。 古代国家成立に向かう激動期に大和と東国の関係を知る大変貴重な資料となったのです。 鉄剣の(表銘文) 「辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣、上祖、名はオホヒコ。其の児(名は) タカリノスクネ、其の児、名はテヨカリワケ、其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ 其の児、名はタサキワケ、其の児、名はハテヒ。」 (裏銘文) 「其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ、其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と成り 奉事し来り今に至る。ワカタケ(キ)ル(ロ)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、 天下を佐治し、此の百連の利刀を作らしめ、吾が奉事の根源を記すなり。」 ワカタケの大君とは雄略天皇のことです。 分かりやすく纏めますと 「辛亥の年(471年)7月に記す。私はヲワケの臣です。いちばんの祖先はオホヒコ、 その子はタカリノスクネ、その子はテヨカリワケ、その子はタカヒシワケ、その子は タサキワケ、その子は、ハヤヒ、その子はカサヒヨ、その子がヲワケの臣です。 祖先代々杖刀人首(じょうとうじんのおびと)…大王の親衛隊長として大王に仕え、今に 至っている。ワカタケル大王(雄略天皇)がシキの宮にある時、私は大王が天下を治める のを助けてきた。 そこで、このよくきたえ上げた刀をつくらせ、私が大王に仕えてきた由来を期しておく。」 行田はその頃、もう大和王権の支配下にあったのですね。 凄いことですね。 二子山古墳 一番初めに見学しました。武蔵の国で最大の古墳です。全長138Mあります。 ![]() 丸墓山古墳 日本最大の円墳です。「桜の花が咲くころはきれいだよ。」とその頃見学した方が 言っていました。 古墳に通じる道は石田三成が忍城を水攻めにする時築いた堤防(石田堤)と されています。 三成はこの古墳の頂上に陣を張ったといわれています。 ![]() 将軍山古墳 「将軍」のような方が葬られていることから、呼ばれたといわれています。 復元された将軍山古墳に素焼きの円筒形の埴輪が等間隔に並べられています。 これは当時もだったそうですが、長い年月の間に、破損して堀の中に埋まってしまった のですが、ここ将軍山古墳では前方墳の中段から1.7M間隔でまとまって出土する 部分が発見されたそうです。 ![]() ![]() 愛宕山古墳 さきたま古墳群の中では一番小さい古墳です。 ![]() さきたま古墳にはまだまだ沢山の謎があるようです。 ●どうして同じ場所に沢山つくられたのか? ●どうして同じ方向をむいているのだろうか? ●どうして二重の堀をめぐらした前方後円墳が多いのだろうか? ●どうして西側に造り出しを持つ前方後円墳が多いのだろうか? これからの研究で分かっていくことでしょうね。疑問点も多いのですが、解明された 部分もあって、歴史は面白いな…。とつくづく思います。 そして思うことは1500年も前の人々のなんと立派だったことでしょう。 素晴らしいな…。という思いです。 2011年 12月 18日
中山道を歩きました。今回は5回目で熊谷宿から深谷宿までです。最初は日本橋から
神田明神、東大前、白山、巣鴨、板橋宿と15,3K歩きました。 しかし当日は何事もなく過ぎたのですが、次の日から足の縫工筋が痛んで歩くのも 大変になってしまいました。 3回もお休みをしてしまって、やっと良くなったので、5回目は、熊谷宿から 深谷宿まで(17,9K)歩きました。 ここは昔の面影はほとんど無く単調な道でしたが、所々の道標や石仏などが興味 をそそってくれました。 ![]() 土手に出ました。向こうの山々がきれいに見えます。富士山も見えて来ました。 ![]() 川の水がきれいでした。ここだけに生息しているそうです。 ![]() デパートの中に中山道がありました。 ![]() こんな石物や道標がありました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 忍城主(おしじょう主)が、自分の領域を示すために立てた石標 現位置に立っているのはここだけのようです。 地境の石は今もあって見ていますが、領域を示すための石標は 初めて見ました。 ![]() 一里塚も残っていました。樹齢300年のケヤキの木が立っていました。 主に榎だそうですが、ここはケヤキでした。 ![]() 道端には大きなゆずや柿、紅葉した木々などがあって、風情をそえてくれました。 ![]() 深谷駅 ![]() 足の心配をしましたが、大丈夫でした。中山道もこれからが変化があって おもしろくなりそうです。楽しみです。 2011年 12月 01日
先月のつれづれ紀行(歴史散策)は結城紬の里を訪ねました。
結城は下総の国・茨城県にあります。 奈良時代から「ふさ」(麻の転)や「ゆう」(木綿。楮の繊維)の産地として 「総の国のゆうき」と呼ばれていたと言われています。 結城の歴史は古く、市内の各所に大規模な古墳が存在し、河川交通の要所でも あったので、当時から有力な豪族が割拠していたと思われています。 鎌倉時代に入ると平家討伐に功があった小山(結城)朝光に現在の結城市を含む 一帯が与えられ、400年間栄えました。 1590年には、徳川家康の二男秀康を養子に迎えています。 秀康は関ヶ原の合戦の恩賞で越前福井へ加増されてこの地を離れ、結城家の支配は 幕を閉じました。その後は幕府の直轄地になり、水野家が入封し、結城藩が成立し、 新しい時代を迎えています。 ここは古くから養蚕業が発達し、奈良時代から、紬の特産地として 栄えています。 結城氏 「結城氏」は小山政光の3男・小山朝光が1183年におきた志田義広の乱で功をあげ、 源頼朝から結城郡を与えられて、「結城朝光」と名乗り、結城氏となったことに始まり ます。それから18代、養子であった秀康が越前福井に加増転封となった1601年まで 続きました。 結城城祉 城は、戊辰戦争で佐幕派が占拠したため、政府軍の攻撃を受けt消失しました。 今は本丸の一部が公園として整備されています。 結城城の空堀 ![]() 今では公園に ![]() ![]() 稱名寺 浄土真宗本願寺派の寺です。結城家の菩提寺として隆盛し、結城朝光の墓が あります。この寺は親鸞の高弟真仏が開基です。 ![]() 弘経寺 この寺は結城秀康が長女松姫の菩提を弔うために建立した寺院です。 浄土宗の関東18壇林の一つに数えられる学問所です。 江戸中期の俳人与謝蕪村が十年の間身を寄せ、結城や下館の俳人と交友した場所 で、境内には句碑が建てられています。 ![]() ![]() 玉日姫の墓 結城城の北のあたりに「玉日」という地名があります。この地名はこの地で 布教をした浄土真宗の開祖・親鸞の妻・玉日姫に因んだといわれています。 そしてこの地の一角に玉日姫のお墓と伝えられる石の玉垣に囲まれた墓所が あります。 玉日姫についてはいろいろな説がありますが、恵信尼と同じ人と考えると、 親鸞の妻となり、布教者として親鸞を助け、何人かの子供を育てたバイタリテイ のある女性だったそうです。 ![]() 酒蔵 酒作りの店を訪ねました。ワインも作っているそうです。店の御主人からお店独特の 手法を説明していただきました。 建物も江戸時代から耐震建築がなされているそうで、今回の地震にも助かったそうです。 ![]() 耐震構造の家 ![]() つむぎの館 最後に結城紬染織資料館をたずねました。 結城紬の歴史は古く伝承によりますと、崇神天皇の時代に美濃国の多屋命が久慈地方に 移り住み長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)という織物が始められたといわれています。 絁とは絹糸で織った粗布のことで、これが原型で結城地方に伝わり結城紬になった そうです。 今も古代の技法が受け継がれて、数々の創意工夫はなされていますが、 すべて手作業で作られています。 私たちは陳列館、織物館、結の見世など見学しました。 立派な織物が沢山並べられていましたが、全行程手作業とあってお値段も高く、私に 買えるものではなさそうでした。 2011年 11月 26日
ハイキングのお仲間と金時山、駒ヶ岳、神山に登りました。
3日前に箱根美術館へ紅葉を見に行った時は快晴でしたが、高さもあるのか、 常に天候が変わって富士山をはじめ周りの山々をきれいな形で見ることはできません でした。 でも降られることもなく、時々陽がさして来て、安心して登りました。 楽しい2日間でした。 金時山は今回は金時神社入り口から登り、金時登山口に降りました。 「箱根の山は天下の険」と言われるだけのことはあって、金時山も神山も石の ごろごろした山でした。 私たちは「1000M越すと結構、きついね。」と言いながら登りました。 私は3月に神山に行きました。その時は雪の中でしたので、石があんなに多いとは 気がつかず、今回また行けたので、山の様子がより分かった感じです。 残念ながら、富士山ははっきりとは見えませんでした。 金時山 金時山から見た景色です。 ![]() ![]() ススキ野が芝生のように見えました。 ![]() ![]() 山の場所によって芦の湖が大きく見えました。 ![]() 富士山 富士山には雲がかかってしまい、よい形では見ることができませんでした。 残念です。 ![]() ![]() ![]() お宿は東急ハーヴェスト「箱根甲子園」ホテルです。Hさんが手配して くださいました。素敵なホテルでした。 窓からみた景色です。 ![]() お庭もよく整っていました。 ![]() 神山 お宿から箱根園までタクシーに乗り、ここからロープウエーで山頂まで、 360度開けていますが、紅葉は今一でした。私たちは箱根元宮へお参りしました。 赤く塗った建物で、遠くからもよく見えます。 ![]() ケーブルが動いているのが見えました。 ![]() 神山の頂上から大涌谷に下ります。 ![]() ![]() ![]() 石のごろごろ道を歩いて大涌谷にでました。硫黄のにおいがしています。 ![]() 紅葉はあまりきれいではありませんが、今が見ごろのようです。 ![]() 箱根は私宅から近いので泊まったことはありません。今回泊まってこんな登山も ゆったりしていていいものだとつくづく思いました。 お世話くださったHさんに感謝です。 2011年 11月 24日
18日の金曜日にぴんぼけクラブのお仲間と箱根美術館へ紅葉を見に行きました。
箱根登山鉄道で終点の強羅まで行き、強羅駅からケーブルカーに乗り、公園下で 降りれば、美術館は目の前でした。 入ってまず目に入ったのは真赤なモミジでした。 「なんときれいなのでしょう。」 今年は台風時の塩害で十分紅葉しない木々ばかり眺めていた私には、とても きれいに見えました。 今年初めて見た?紅葉といってもよいくらいのきれいな紅葉が目前に 広がっています。嬉しくなってしまいました。 箱根美術館 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 強羅公園 次に隣の強羅公園に行きました。ここにはまだバラが咲き、10月さくらも 咲いていました。 ![]() ![]() ここでもきれいな紅葉が見られました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 今クリスマスローズ、半年前はアジサイ…どなたかが言っていました。 ![]() ![]() お昼はJさんが会員になられている箱根離宮でおいしいスパゲテイのコース ランチをいただき、幸せな気分になりました。 そのあとで、裏庭を見せていただきました。山々が全山紅葉していてとてもきれい でした。陽があたって輝いて見えましたが、写真には十分出ませんでした。 しっかりと目に焼き付けました。 ![]() ご一緒していただいた皆さま、楽しい一日でしたね。ありがとうございました。 2011年 11月 01日
今年は台風の塩害でお庭の花も葉が枯れてしまったものや、
咲き方がおかしいものもあったりしますが、少々色がついて 賑やかになりました。 大切にしていた白やまほととぎす等は、葉がちりじりになってしまって 残念でした。 ![]() 2011年 10月 26日
西上州の御場山と日暮山に行きました。
下仁田駅から林道終点でタクシーを下り、 ① 御場山登山口~尾根のコル~頂上 ② 日暮山登山道入り口~林道~尾根のコル~頂上 お友達から紅葉を見て来て「きれいだった。きれいだった。」と聞いて 「私もどこかの山で紅葉を見たい。」と思いここへ行くことにしました。 しかし、紅葉は今 始まったばかりでした。これから一週間から十日間あたりが きれいなのでしょう。 短いところですが(急坂30分から1時間)、道なき道の急坂をストックと 近くの木々に捕まって登り降りしました。 御場山 ![]() ここには三角点がありました。 日暮山 ![]() 地元では矢川富士と呼ばれていて美しい円錐形の山です。石碑や祠が残っていました。 人があまり来ないのか転がっているという感じでした。 木々の紅葉 今 始まったばかりで、まだ青々としていました。 ![]() ![]() お花 お花は終わりでしょうか。りんどうが一輪咲いていました。 ![]() 短い時間でしたが、急な坂をやっとの思いで下り、リーダーに「もう少し上手に。」と 叱られてしまいました。 もう少し坂道を上手に下れるようになりたいと思います。
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